そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

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君は正しい料理法で作られたお好み焼き、あるいは正しい料理を食べたことがあるか?

一人用の土鍋を買ってから、自炊がとても楽しい。

水炊き的な定番の鍋料理はもちろん、冷蔵庫にあるものを適当に放り込んで雑炊や鍋焼きうどん的な料理を簡単に作ることができる。
なにより、洗い物が徹底的に少なくなるところがいい。まな板と包丁を使って材料を処理して、鍋に放り込むだけ。食べるときはそのまま鍋から食べればいいから食器を使わなくていい。これは大変楽である。

 

 


焼き料理ができない点、白米が必要なら別に炊かねばならない点はデメリットであるが、僕が麺類大好きであることで容易に解決ができた。
話が脱線するが、僕はそもそもコメが好きではない。食べれないと言ってるわけではない。主食として、いささか態度がデカくて、権力が強すぎるのではないかと苦言を呈したい。
コメは、ラーメンにライス、カレーにライスとどこでも現れる。大阪府民に関していえば、当たり前のようにお好み焼きとライスを食べるという。これは一体どういうことか。主食的炭水化物を相手にしてもなぜ米はしゃしゃり出てくるのか。

 

…話が脱線した。今日話したいのは、正しい料理を食べる経験についてである。
さて、この一人用土鍋を手に入れた僕は、ある郷土料理に挑戦したくなった。
そう、日本が誇る食の魔都、名古屋県民のソウルフードとされる味噌煮込みうどんである。
レシピを見てみるといろいろなルールがあることがわかる。

 

  • 八丁味噌を使う
  • 麺は塩抜き
  • 具はかまぼこ鶏肉卵しいたけなど

なるほど、とりあえず味噌は家にあったもので代用せざるをえない。我々は配られたカードで勝負しなければならない。麺はきしめんを使えばそれっぽいだろう。菌類は嫌いなのでしいたけは抜きだ。かまぼこもないので、ちくわで代用しよう。ちくわはいい。食べても美味しいし口にくわえているだけで幸せになる不思議な棒だ。

そうやってえっちらおっちらと作った味噌煮込みうどんは、初めて作ったわりには大変美味しかった。
でも、おそらくこれは正しい味噌煮込みうどんではない。ありあわせで作た密造品である。きっと本場の名古屋原人からは袋叩きにされてしまうだろう。

しかし密造品になるのも仕方がないではないか、なにしろ僕は大阪府民。
本場のフォーマルでオフィシャルな味噌煮込みうどんなんてただの一度も食べたことはないのだ。大阪で名古屋めしなんて食べれると思っているのか?立ち食いラーメン屋で「本場台湾の味!台湾混ぜそば!」と張り紙が出ているこの大阪で?

 


そうして脳内名古屋原人に抗議の声を上げていると、頭の中にふと疑問がよぎった。
だが待ってほしい、味噌煮込みうどんに限らない。
俺はそもそも今までの人生でどれだけフォーマルな食べ物を食べてきたのだろうか?

 

例えば、お好み焼きである。

 

お好み焼きの写真

お好み焼きである

(素材:ぱくたそ様 熱々のお好み焼き|ぱくたそフリー素材

僕は生まれは違うが育ちは大阪であり、たこ焼きが嫌いなどの理由でしばしば大阪原人に石を投げられるなどしてきたが、おおむね名誉大阪人として育ってきた。今も大阪に納税をしている。

我が家では父がビールのつまみとしてお好み焼きを愛しており、土日になると我流でお好み焼きを作ってくれた。
乾燥エビを一袋まるまる放り込み、冷凍シーフードをてんこもりに入れる。そうしてできたタネをホットプレートに豪快にぶちまけ、両面に豚肉を載せる。外はガリガリに黒く焼き上げて、中はタネがどろりと残っている。それが僕の父親が作るお好み焼きだった。

お好み焼きは各家庭の味が正しいともいうが、父の作るお好み焼きの作り方は果たして正しい大阪流だったのだろうか。

 

そういえば小学生の頃、「我が家のお好み焼きでは豚肉は両面に使っている」と話したら、同級生に袋叩きにされた記憶がある。大阪原人は怖い。
別の機会にお好み焼きの切り方を尋ねられた時も答えられなかった。僕にとってお好み焼きは、ホットプレートの上から更に一人一枚押し付けられるものであったし、僕も家族もそれを箸でむしるように食べていた。コテで切るという概念を知ったのは、酒を飲める年齢になってからである。

父の作るお好み焼きが美味しかったという記憶がない。大学に入って一人暮らしを始めてから、何度かプレーンなお好み焼きを作ろうと試みたが、いずれもうまくいかなかった。

 

その後、大学を出たあと、紆余曲折があって大阪市内に住むことになり、いよいよ大阪文化に浸されて生きていかなければならなくなったときに、ここに書いたような疑問が頭に浮かんだ。
僕はお好み焼きがあんまり好きではなかった。そんな自分でも粉もんの本場でやっていけるのだろうか。
疑問は膨れ上がり、被害妄想に変わり、やがて恐怖となって僕に襲い掛かってくる。お父さん、そこに魔王がいるよ。

「もしも職場でお好み焼きを食べに行く機会が発生したらどうしよう?ただしいお好み焼き屋のルールに則った行動ができるだろうか?」

よし、通勤経路のお好み焼き屋さんで練習を試みよう、と僕は考えた。
幸か不幸か僕の関西弁は訛りが少ない。いざとなったら郷土である九州人のふりをしよう。
とまで考えた。

そのお好み焼き屋さんは、職場に向かう乗換駅から少し歩いたところにあるお店だった。コッテコテの大阪のお好み焼き屋ではなく、小料理を出す居酒屋のようなささやかな雰囲気のお店である。

近隣の会社の飲み会でよく使われるのか、僕が行った日の夜は人がいっぱいだった。ひとり飯には少しアウェイだが、ちょうどいい雑踏の中なら、周りをこっそり見てマナーを推し量ることもできる。
そして何より、ここはお好み焼き専門店である。プロがお好み焼きを作ってくれる。出てくる料理は正しいお好み焼きなのだ。これで僕はフォーマルなお好み焼き童貞を卒業できるのだ。


出てきたお好み焼きは四角で、四角い鉄板とともに僕のテーブルの上に運ばれてきた。ステーキハウスのステーキのような取り扱いだ。なるほど、これが本場のお好み焼きなのか。食べてみると、外は驚くほどさくさくしていて(当然焦げていない)、中は口の中で弾むようなふわふわ感がある。歯を立てると、溶けほぐれるように口のなかに出汁の味が広がっていく。ソースも美味しい。これまで家で作っていた、びちゃびちゃと固まってない生地が中から染み出てきたり、キャベツに火が通っていなかったり、といったがっかり小麦粉焼きとは全然違う。やはり僕の食べてきたお好み焼きは間違っていたのだ。死んだ母親を作ろうとして間違えて関係ない怪物を産んでしまった錬金術士と同じだ。あんなお好み焼きを作ってきて、腕を持っていかれなかっただけマシである。

うまいうまいビールが進む、と幸せ気分で食べたあと、さぞ名のある店に違いない、と家路に向かう電車の中で店の評判を見てみた。
「四角い珍しいお好み焼き屋さん」「卵が効いてて美味しい、ここでしか食べられない〜」

とレビューの言葉が並んでいる。
なるほど、どうやらさっきのお店は大変美味しいお好み焼き屋さんだが正当な流派のものではないのだ。
では一体どこで、僕は正しいお好み焼きを食べれるのだろう?大阪らしいお好み焼きを?

以来、機会をうかがっているがお好み焼き屋に行く機会がなく、謎のままである。
その会社に在籍中にお好み焼き屋に行く機会はなかった。「甲子園を見ない」「仕事中にパズドラをやらない」などの理由で飲み会でガン詰めをされたことをきっかけに退職した。大阪原人は怖い。


それにしても、このように専門店と呼ばれる店でも様々なアレンジが加えられているとなると、僕達は案外正しく作られた正しい料理を食べたことがないのではないか、と不安になってくる。

例えば、牛丼はどうだろうか。吉野家や松屋で僕らはいつでも牛丼が食べれる。だがあの牛丼たちは牛丼界ではどのような立ち位置なのだろう。あれが正しい牛丼であり、その上位互換としてもっと政党流派の牛丼があるのだろうか。
そもそも牛丼は家庭ではまず作られることがない。私達の牛丼感は、大手三社による情報操作により植え付けられているものではないのか。
焼きそばだってそうだ。我々は縁日の屋台で焼きそばを食べる。20円の麺を買ってきて土曜日の昼に焼きそばを食べる。だが、我々はどこで焼きそばをおぼえたのか。焼きそばはどこからきて、どこに行くのか。

もっと言えば、マクドナルドのマフィンだってそうだ。あれはなんだ。朝マック以前の人類はあんな食べ物をどこで食べていたのか?

 

 

一方で起源がはっきりした、正しい食べ物がわかるジャンルもある。ラーメンだ。
家系や二郎系には本家本元があるし、天下一品だって総本店がある。一度本山を拝めば確実に正しいラーメンが食べれるし、僕たちはそれを元に他のラーメンの正しさを判断できる。
もっとも、そういうラーメンたちもひとたびそのご当地を離れると様々な解釈をされ、我流の意味の分からないものへと変貌を遂げる。例えば、僕は縮れ麺の自称博多豚骨ラーメンを食べたことがある。

 

そんな風に考えていると、人々が高いお金を出してフレンチやイタリアンを食べているのにもなんとなく納得がいく気がしてくる。その手の美食的なお店のシェフはおおむね正しい料理を本場で学習してきて、正しい調理法で正解に近い食材を使って料理をしているはずである。
高級店がなぜ高いのかというと、そういう正統さを担保する値段があるからなのかもしれない。
そういえばとあるラーメンの漫画で(話が前後してまたラーメンの話になって申し訳ないが)、
「ヤツらはラーメンを食っているんじゃない。情報を食っているんだ」というセリフがあったっけ。


なるほど。
生きているうちに、いろいろと正しい料理を食べてみるのも悪くない気がしてきた。
オタクがパロディの元ネタ捜しを楽しむように、舌で味わう料理のルーツ探しも絶対に楽しいはずである。
なにしろ僕らは生きているだけで腹が減る。死にたくなくて腹が減る。そして、美味しいものを食べたら幸せな気持ちになる。
口の中に他の生き物を放り込むと快感を得る。体の構造を考えたやつは頭がおかしい。

 

そんなことを考えながら、土鍋で夜食のインスタントラーメンをすすっている。
明日こそ、どこか肩ひじの張らない店で、正しい食べ物を食べたい。