そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

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小学二年生の誕生日会と、いかにして僕がそれらに呼ばれなくなったか

小学生二年生の頃、友達の誕生日会に一度だけ呼んでもらったことがある。

 

 

 

僕とその友達はポケモンとビーダマンが大好きで、学校が終わったらどちらかの家に行き、コロコロコミックを読んだりビーダマンで遊んだり、ゲームをやっていた。

いかにも小学生の友達関係だった感じだった。誰かが新しいビーダマンを持っていたらみんながそれに虜になったし、新しいゲームがあったらそれに熱中した。コロコロコミックを早読みしたやつはヒーローだった。

僕はゲームを買ってもらえなかったから、友達にはビーダマンをやる相手として認識されているみたいだった。

ゲームができない僕なのに、友達は嫌な顔せず、ビーダマンで遊んでくれていた。

ビーダマンの実力は僕のほうが強かった。最新のファイティングフェニックスを買ってもらったばかりだったし、他のテレビゲームができないぶん練習していたからだ。

 


それでも、彼は嫌な顔せずにビーダマンに付き合ってくれた。そして、僕が知らないゲームも、遊ばせてくれた。

64の大乱闘スマッシュブラザーズシリーズやゴールデンアイ、自宅では握れないコントローラーの形に困惑しながらプレイしたものだった。

スマブラでは僕はいつもカービィかリンク、見た目で選んでよく負けていた。

ゲームが過熱してくると、ちょうどいいタイミングで友達のお姉さんがお菓子を出してくれる。

バームクーヘンだったり、ポテトチップスだったり。

それらを口に咥えたまま、置き去りになったコントローラーを眺め、戦闘再開を待ち望んだものだった。

ゲームに飽きたら、僕は秘密基地作りに向かった。秘密基地と言っても、対したものじゃない。住宅街の隅にある、貯水槽の裏手とか、公園の柵に蔦を巻きつけて蓋しただけの場所とか、そんな欠陥住宅ばかりだった。

 


まあなんにせよ、僕とその友達はよく遊んでくれたと思う。90年代のゲームに関して、僕がかろうじて持っている記憶は、すべてこのときのものだと思う。

 

 

 

そんな友達から、人生で初めてお誕生会に誘われた。

これは大変な名誉である。

この地域の小学生のローカルルールとして「お誕生会に招かれたら、プレゼントをあげる。それから、自分のお誕生会にはみんなを招き返さなきゃいけない」といったものがある。返礼によって親睦を深めていくのだ。これは一聴した限りでは大変に微笑ましい話である。

だけど、当の僕にとっては大問題だった。

 


ます、僕はその住宅街に4月に引っ越してきたばかりで、周りに友達はほとんどいなかった。

周りは裕福な専業主婦家庭が多く、多くのクラスメイトはそのまま帰宅していたが、僕の家は共働きで学童保育で預けられたままだった。

そんなわけで、僕はこれまでに他の人たちが招待されて行ったというお誕生日会に行ったことがなかった。

 


だから、どんなものを渡したら良いのかもわからない。近隣のモールに行くにしても親の車を出さざるを得ず、そんな時間がない、と一蹴されてしまった。

そうなるともうスーパーで買える食玩になってしまう。でもきっと、それじゃ納得してもらえないだろう。

 


最後までグズグズと僕は悩んでいた。

 

 

 

お誕生会の当日、他の級友たちはそうそうたるプレゼントを用意していた。

ポケモンカードのデッキ一式、64のコントローラー(これでプレイ人数が増える)、ポケモンの攻略本などなど。小学生の目から見たら、まさにお宝のようなものばかりだった。

 

 

 

「あのさ、他の人みたいに大したことないんだけど、お誕生おめでとう」

と言って、僕は小さな立方体の包み紙を手渡した。

中に入っていたのは僕がメインで使っていたファイティングフェニックスだった。子供の雑な扱いでボロボロのままの。

結局、新品を買う時間もお金も、当時うちの親にはなかった。忙しかったんだろう。

 


渡したときの一瞬困惑したような顔と、それを包み隠してすぐ笑ってくれたことだけが唯一の救いだった。

それからそのあと、増えたコントローラーを使ってみんなでスマブラをプレイしてその日はおしまいになった。スマブラは急激に人気を集めていて、みんながコントローラーを握りたがった。

あの日から彼とビーダマンで遊んだかは覚えていない。

 


「誕生日会に呼ばれたらお返しに誕生日会をしなくちゃいけない」と気づいたのは僕の誕生日がくる少し前だった。

親にそのことを話してみたが、どうも気乗りがしないようだった。仕事で疲れて忙しい土曜日が、ケーキやたべものの準備に潰され、何人もの子供監督する義務があり、挙句にプレゼント交換。プレゼント交換後にはいただいた親御さんにこちらが頭を下げることになる。

そういう手間を煩わしく感じた親によって、結局僕は誕生日会をすることはなかった。

 


僕は誕生日会をやらないんだ、と伝えたときの教室の白けた雰囲気をいまで覚えている。それは、僕がみんなの誕生日を祝う権利を失った瞬間でもあった。

 

 

 

以来、みんなはヒソヒソと僕抜きの誕生日の作戦会議をするようになった。

 


誰かの誕生日の日がくる、すると放課後にみんなが誰かの家に内緒で集まって大騒ぎをしている。

学童保育終わりの僕が18:00くらいにそんな家の前を通ると、一際大きな笑い声が聞こえるように感じた。

 

 

 

こんな話からどんな教訓を見出すべきなんだろう?子供の誕生会は心理戦?バカバカしい。

 


たぶん、僕はパーティの外で、大騒ぎに耳をすませる役回りの人なのだろう。

パーティには参加ができない。ドレスも正装すら持っていない。

そんな役回りを忠実に演じ続けた結果、今日に至るまで結婚式にすら呼ばれることはない。もちろん、任天堂ハードに積極的に手を出すこともなくなってしまった。

 


誰かの結婚式や誕生日と聞くと、僕はあのボロボロのファイティングフェニックスを思い出す。

彼は結局それを使ってくれたんだっけ?たぶんスマブラに夢中だったんだろうな。

彼はいま、何に夢中で生きているだろうか。

僕はそうだな、ビーダマンはもういいかな。