そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

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初めて似顔絵を描いてもらったことと、その備忘録について。

8月の終わりに、Twitterで懇意にしている作家さん、 ふわふわのくまさんbotの管理人さまが電撃来日されると連絡をいただき、慌てて避雷針を片手に京都のさろん淳平さんに伺った。

 

作家さんのHarada Midoriさんはドイツで活動されていて、たまに日本に突然帰ってくるようで、僕は今年の4月、偶然にもお会いすることができたところだった。

今回は別件で予定が入ってただけに危うかったのだけれど、なんとか無事見に行くことができた。

今回の僕の目当ては、ふわふわのくまさんの新作絵本もあるが、それとはもうひとつあった。

似顔絵を描いてもらうこと、だ。

 

 


前回、4月のギャラリーのときに、Haradaさんと長い時間お話しする機会をいただいた。大変ありがたいことに。

Haradaさんはドイツを拠点に、似顔絵を描く活動をされている。
似顔絵と聞くと我々ジャパニーズはついつい恥ずかしがってしまうけれど、向こうの方はむしろ積極的に描いてもらいに来られるそうだ。

たいていの場合、似顔絵というのは、初めて会った方の顔を初めて描く行為である。当然、観察眼が要求される。言うまでもなく画力も要求される。
外見的な特徴や、外見を構成する内面の特徴、それらを育て上げてきた過去、何を思って似顔絵を依頼したのか、描いているときの心理…
Haradaさんは、依頼者のそんな"人となり"を鋭敏に感じとって、絵を仕上げていく。
そうやって、絵の依頼のたびに、集中的に相手と向き合うことが増えたからか、誰かと話すと身体の問題とか、心理状態とかがその場で分かる"エスパー"のような能力も身につけてしまったそうだ。
(実際、この話をしたときも他のお客さんの身体の情報をその場で当てていっていた)

 

 

 

…と、まあそんな話を前回僕は聞いていたわけである。
それだけに、筆を持ったHaradaさんに相対し、絵を描いてもらうのは、僕にとってとても怖かった。
だってある意味で写真を撮られるよりも、よりありありと自分の姿を映し出されるのだ。
ちょうど『人間失格』の主人公が、自分でもゾッとするほど陰惨な自画像を仕上げたときの描写を連想した。
「似顔絵を描いてもらうことで、胸底にひた隠しにしてる自分が現れるのでは無いか」  

2回目のギャラリーの隅っこてお話ししながら、僕は「似顔絵を描いてください」と切り出せずにいた。

言い出せずにいる間にも、二階のギャラリーに新たにお客さんが来られる。Haradaさんと話された後に、その中の一人がくまさんの絵をリクエストした。

その色紙が書き終わったタイミングで、いよいよ言おうかとおもったら、ちょうどお店の方が最後のお客様を案内するために、二階の座敷に上がってくる。

閉店時間までは10分しかない。間に合うだろうか。


お願いしても構わないだろうか。
今閉店間際のこのタイミングで、よりにもよって僕の似顔絵を?
そう思っていたら、ちょうど談笑の話題が似顔絵になる。いまだ、言うなら今しかない。

すごすごと、控えめに。手を上げてぼやく。

「すいません、僕も似顔絵を描いてもらっていいですか」


そんなわけで僕は意を決して絵をお願いした。

絵を描いてもらっているときもひたすら照れ隠しの笑いが多くなったような感じがする。
机を挟んでHaradaさんの前で正座をする。
Haradaさんははじめに薄い肌色の鉛筆を持って、色紙に下書きを描いていく。
Haradaさんにはその時点で出来上がりが見えているんだろうか?木の塊から仏像を彫る木工職人のように?
背筋を伸ばすのすら恥ずかしくて、太ももの間に手を挟み込んで猫背で座る。つい顔が俯いてしまって、それを指摘される。
顔を上げて気づいたのは、Haradaさんがなんどもなんども僕のほうを見てくること。
その目の真剣さに、何度も目をそらしてしまう。露骨に破顔してわらってしまう。
そりゃ僕の顔を描いてるのだから見るのは当然なのだけれど、それでもただ目を合わせるのとはわけが違う。
やがてHaradaさんが筆ペンに持ち替えて、僕の顔を描いていく。

僕から見て逆さまに、どんどん顔が書き足されていく。

はじめに髪の毛が描かれて、輪郭が描かれてメガネが描かれて目が書き足されていく。

鼻の筋がはいり、口元が加えられる。肩と首筋も。

もちろんこの間も何度も目が合う。あるいはそらす、照れ笑いする。

学生時代に訓練して、人と目を合わせることは平気になったつもりだった。

でも、もしかしたらそれは、"真剣に"他人の目を見ないよう訓練しただけなのかもしれない。いま、僕はharadaさんに真剣にむかいあっている。だからこそ目をそらしてしまう。

そんなことをほんやりと考える。

肌色のペンに持ち替えて、僕の輪郭が立体になっていく。
逆さまに絵がかれた僕を見ながら、ぼんやりと考える。ああ、僕もこんな風にすっきりとした人間に生まれられたらなあ。

そう思ってから、はたと気付く。

 

そうか、今Haradaさんが描いているのは
「僕が見られたい僕」の姿では無いのだろうか

 

絵が出来上がって、天地がひっくり返されて初めて僕は自分の似顔絵と対峙する。

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なるほど、やっぱりそうだ。
僕はこうなりたいのだ。こうありたいのだ。そういう意味で、この絵はまさに僕を描いた絵なのだ。なんのおめかしもなく、下駄をはかせたわけではなく、「こう見られたい」と背伸びをする僕をそのまま描いた作品なのだ。

 

僕たちはつい「神絵師」という言葉を使ってしまいたくなる。
だけど、色紙を挟んで僕と向き合い、何度も僕の顔を眺めて筆を動かすHaradaさんの姿は、どんな人間よりも人間らしく思えた。
なんだか、描いてもらってるだけなのだけど、言葉を超えた意思疎通をやっているような時間だったように思う。
絵を描いてもらっているというより、そこに僕がいることを残してもらっているような気持ちになった(とても陳腐な表現だ)。
だからそういう意味において、僕はいわゆる「神絵師」に似顔絵を描いてもらったのではなく、あくまで人間同士で向き合い、人間として
Haradaさんに絵を残してもらったと思っている

 

絵を描いてもらいながら、僕はそんなことをかんがえていた。

たかが似顔絵ひとつに大げさかもしれないけれど、なにしろ描かれたのは他でもない「顔」である。

ちょうど、僕が大好きなバンドCIVILIANが、顔に関する曲を出していた。

CIVILIAN『顔』(web ver.) - YouTube

帰りの電車の中で、篠原ともえが演じる、自画像を売る女の子のことを僕はぼんやりとかんがえていた。

今日みたいに、他人に顔に顔をまじまじと見られるだけで恥ずかしくて本当にしばらく自分が他人事に感じるような僕と、自画像を売る女の子との間には雲泥の差がある。

それでも、いつか、僕もどうにかして、自画像に似たものを自信満々に誰かに届けられたになりたい。そんなことを考えた。

 

 

そんな感じの、備忘録です。

似顔絵を描いていただいた方は、普段はふわふわしています。