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そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

音楽と小説とカメラが好きな人の日記です。主なカテゴリ↓

カメラ初心者ですがCP+に遠征中です。

僕はカメラ初心者である。
昨年、自室で埃をかぶっていたミラーレスカメラを手に取り、キョロキョロと世界を見渡しはじめたのだ。まるで巣穴から天敵の様子を伺う草食動物のように。

僕はそれまで、おおよそ目に見えるもので自分を表現しようとしたことがなかった。
具体的にいうと「絵」を描くことを極度に恐れて過ごしてきた。
ペンを持ち、白い紙を持つと思わず手が止まってしまう。その部屋にいる全ての人が、物が、僕の手元を覗き込んでいるように感じる。
彼らは僕を余すことなく観察する。ペンの持ち方、神の抑え方、机に向かう背筋、そして青白くなっていく僕の表情を、ありとあらゆる方向から睨みつける。
白い紙はいつの間にかその白さを失い、よく磨き込まれた銅鏡のように僕の顔を写す。そこには、僕の顔が鈍い暖色の光の反射を伴って浮かび上がっている。

もちろん、実際にぼくの言動を気にかけている人間はいない。現にいまこうして、パシフィコ横浜行きのバスの中で文章を書きなぐる僕を見ている人間は誰もいない。
しかし、ことさら「絵」にかけては、そういうわけにはいかない。紙に書き写された僕の世界を、彼らは今か今かと覗き込んでいる。
そういう彼らの眼を感知するセンサーが、僕の体にはすでに「刷り込まれている」

そんなわけで、僕は長い間、おおよそ僕から見た世界を、誰かの目に見える形にすることを試みなかった。

より正確に言えば、前述の通り「自分を表現する手段」として持ちいることはなかった。
加えて言えば、それ以外のありとあらゆる「自分を表現する手段」も、誰かの真似の域を得ることはなかった。
僕はギターを弾き、文章を書き、愛想笑いを浮かべてきたが、それらはいつも「誰かの手段」であり、「誰かの言葉」だった。出発する駅が違うだけで、車両はいつも同じだった。
だが、絵についてはだれかの模倣をすることすら叶わなかった。
その視線は常に僕の背中を突き刺し続けた。まあ、現実的な問題として絵が下手くそだったこともあるが。

だから、紛いなりにも僕が写真を撮り始めたことは、僕の人生にとってはそれなりに大きな意義がある。
ペンを手に取るか、カメラを手に取るかの違いはあれど、「自分が見た世界」を、白紙に写し込む作業をぼくはそれまで試みてこなかったのだ。

カメラの良さは、おそらくその「視野の狭さ」にある。
ファインダー(EVFではあるが)を覗く時、僕は片方の目を瞑り、もう片方の目をカメラに委ねる。
そのとき僕はレンズを通した像にのみ集中する。そこにはもう、僕を睨みつける視線は存在しない。何も意識する必要する必要はない。
(そして時々、足元の段差すら意識しなくなる)。僕は初めて、白紙の世界を前にして、彼らから解放された。
あとはシャッターを切るだけなのだ。

ゆえに、僕は常々olympus penというこの小さなカメラに感謝してきたし、強いて言えば、カメラというこの技術の結晶に畏敬の念を感じてきた。
今回、僕がわざわざ大阪からCP+に来たのは、カメラに対するささやかな敬意を、僕自身のこの目に焼き付けるためである。

リムジンバスが、もうまもなくパシフィコ横浜に着く。

いったいどんな展示があって、どんな人々が、どんな目で見ているんだろう?
とても楽しみだなあ。