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そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

音楽や小説が好きな人が書いてます。主なカテゴリ↓

アドラー心理学の第一人者、岸見一郎さんの講演会に行った。

雑記 読書 読書-レビュー・感想

『嫌われる勇気』などの著者、岸見一郎さんの講演会に行ってきた。
もはや説明が不要な大ベストセラーだ。

アドラーについて、そして『嫌われる勇気』について。
著書だけでは伝わってこない「人生の幸せ」と岸見一郎さんのお人柄がにじみ出た、1時間半があっという間に感じられる大変興味深い講演だった。

「人生の課題とは」「人間の悩みの源泉とは」

「叱らない・褒めない生き方」「過去は存在しない」

アドラー心理学、『嫌われる勇気』を読んでいても、それでもなお刺激のあるお話しだった。

この日記では、今日の講演会の様子と僕が受けた感想について書いていく。

 岸見一郎の講演会

どんな講演会なのか。概要。

大阪労働者福祉協議会なる団体が主催で、8月23日(今日、ついさっきだ)、天満橋にあるエル大阪という施設の大ホールで開かれた。応募者殺到だったらしい。詳細(pdf)

なぜ行こうと思ったか、『嫌われる勇気』への違和感について

岸見先生の著書から受けた違和感を解く手がかりを探すため、僕は講演会に行った。
僕が感じた違和感とは即ち、
「どこからがアドラーの思想で、どこからが岸見一郎の思想なのか」
というものである。

嫌われる勇気とはどんな本?

『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』は、人間関係に絶望する青年と哲学者が、狭い部屋で愛を囁きあう様子を対話で記した本である。

 

哲学者が語る「幸せ」は刺激的な内容だ。
その思想によって、『嫌われる勇気』では学者を論駁しようと息巻く青年も、続編の『幸せになる勇気』では「先生は(中略)ダビデ像なんだ!(中略)まさに理想(中略)ですよ!(中略)いつの間にか愛してしまっている(中略)ひとたび(中略)出会ってしまえば、愛の嵐が吹き荒れる、止めようにも止められない!」と哲学者の虜になってしまう。

それぞれ3周程度通読した。アドラーの思想は刺激的である一方で、僕が日常生活で感じてきた対人関係の悩みに明快なヒントを与えてくれた。

アドラーは「マクドナルドの女子高生?」

一連の本は哲学者たる岸見一郎氏と青年、もといライターの古賀史健氏の対談をまとめた、架空のダイアローグ、対話の形式をとっている。いわば、「マックの女子高生ツイート」のようなものであって、アドラーの訳書を解説した本ではない。
それだけに、アドラーと岸見先生の思想の境界が、あいまいに感じられてしまう。

確かに思想は素晴らしい。だけど、アドラーそのものが見えてこない。
人々がもてはやされているアドラー心理学とは、岸見一郎心理学ではないのか、とすら感じていた。個人的に。


アドラーの訳書にあたるか、はたまた全部投げ捨てて二次創作ホモ作品を読むか考えあぐねていた。
そんなときに、今回の講演会の話を知り、自分の耳で確かめることを決めたのである。

岸見一郎さんはどんな人だったか?

なんというか、まさに哲人そのままの雰囲気がある人だった。ダビデ像ではない。

白い長袖のシャツにノーネクタイ、写真と違って白髪は染められていない。『嫌われる勇気』の中での哲人同様、比較的小柄な方だった。
お前(哲人)には人をくつろがせる才能があるんだ」という作中の言葉をふっと連想した。

ご本人を目の前にすると、身長だけを差した指摘でないことがよくわかる。
丁寧で優しい言葉遣いもそうだし、終始湛えた柔和な笑顔も含めて、岸見先生の人柄を表す言葉なのだと思った。
関西人の僕としては、嫌みのない丁寧な京都訛りの丁寧語も魅力に感じられる。少なくとも、あの本を読んだだけだと、哲人の言葉がうっすらとした京都訛りだと思わないはずだ

600人を相手にした質疑応答無しの講演であるにも関わらず、バーで隣に座った老紳士から話を伺っているような、そんな親密さを受けた。
こんな大学の先生がいたら、きっと毎回授業が楽しみだったに違いない。(あるいは、大学の授業に臨む際も、このくらい興味をもって教授と向き合うべきだったのだ)

会場の雰囲気

開演20分前に会場に着き、可能な限りステージに近い席に座った。前から3列目。岸見先生の表情も、身振りもよく見える。ヤジを飛ばしたら一発で目が合うだろう。
客層は男性と女性が4:6くらい、年代は50代が中心だろうか。男性はサラリーマンが多い。女性は主婦の方が中心だった。
女性は比較的、前列に座り、男性は後ろの席に座っていた。

そんなわけで講演前の雰囲気も大阪のおばちゃん特有の賑やかな感じだった(僕の周りの席だけかも知れない)。さながら整骨院の待合室でちちんぷいぷいを見ているような感じ。

「あら、奥さん、あなたも岸見先生のファンやの?せやねん、私もNHKで”あどらー心理学”って知ってん。でんがなまんがな・・・」

「そうそう、”褒める”と”感謝”の違いなんて、気にしたことなかったわー。話を聞いて胸がスーってなってすっきりするねん、でんがなまんがな・・・」

といった具合。
20代、30代が少なかったのが意外だった。みんな忙しいんだから、仕方ない。若い人はやっぱり学生風の方が多かった。僕の前の方の席では学生新聞の記者(あるいは意識の高いブロガーあたりか)のような方が熱心にメモや似顔絵を描いていた。

講演の内容

とにかくお話しが分かりやすい。

だいたいは著書に書かれている通りのアドラー心理学のエッセンスが中心だった。
そしてアドラーの主張を下敷きに、岸見先生の子育て経験、カウンセリング経験、介護経験などの実例や冗談を交えることで、岸見先生の思想の核心を語るような。そんな講演である。
著書と同じように、とにかく例やユーモアが豊富で、聞いていて飽きないスピーチだった。
それでいて、長い実例とそれをまとめる主張との間の行き来に無駄が無い。大学の講義にありがちな「えーっと何を話してたかと言うと~」みたいな抜けた間が存在しない。必ず主張に戻ってきてくれる安心感があるからこそ、例がただのサンプルや脱線にとどまらず、アドラーの思想を聞き手に深く印象づけてくれる。

アドラー・岸見一郎的「生き方」、幼児教育と介護

以下、講演の内容をメモを参考に簡単にまとめる。より厳密で詳しい話は、岸見先生の著書を読んでほしい。感想のまとめに過ぎないので、ツッコミを入れられても(´・ω・`)知らんがなとしか言えない。

今回の講演では、アドラーを「個人心理学」として紹介するのではなく、「幼児教育、児童心理」の研究者として語っていたように思う。

例えば、『嫌われる勇気』に出てくる「トラウマは存在しない」「課題の分離」といったインパクトのある思想は控えめだった。
どちらかと言えば、『幸せになる勇気』に登場する「賞罰教育の禁止」「褒めない、叱らない」といった、教育と人間関係の上下の話が多かった。
もちろん、根幹の主張は著書とほとんど変わらない。

ライフスタイルを選択することができる。人生の悩みは対人関係の悩みが全てであり、人間は自分に価値があると思うことで初めて勇気を持つことができる。

この思想をベースに話が展開していった。
では我々はなぜ、勇気を持てないのか?それは我々の多くが家庭や学校で賞罰教育を受けてきたからである。といった具合だ。
即ち、
「叱る」ことは、他者との間に距離が生み、失敗による学びを妨げる。
また、「褒める」ことも同様に、他者と自身との間に上下関係を生む行為である。
どちらも、他者を操作することを目的とした行為であり、勇気を阻害し人格を否定する行為である。
この論旨に、岸見先生の自らの体験談が混じっていく。カウンセラーとして、親として。たぶん、僕も含めた客席の人々は、頭の中で各々の過去を思い返していたんじゃないだろうか。

では、「賞罰」のない人間関係とはなんだろうか?どのような言葉をかけるべきなのだろう?
アドラー心理学の主張では、「人間は貢献感を得ることで、自身の価値を感じることができる」という。
だから、我々は相手の行動ではなく、存在に訴えかける言葉を述べるべきである。即ち、「感謝」だ。圧倒的感謝
存在に感謝をする。岸見先生は自らが病床についていたときの経験、父の介護を例に(参考文献として、老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくるを挙げていた)これを語る。誰かの価値を生産性で判断しない。
そして、これらを踏まえて、「人々は自分の仲間である」ととらえて、相手の言動から良い意図を見つけようとする
そうすれば、自分と他者との関係は自然に変わってくるという。相手や関係性を変えるために変わるのではなく、まず「自分」が変わる
自分が変われば、きっとこれまでの関係が違って見えてくる、相手の良い面が見えてくれば、相手が変わって見えてくる。

『嫌われる勇気』に書かれていない言葉

講演の最後に、付け加えるようにおっしゃっていた言葉が印象的だった。

「皆さんが勇気を持って変わろうとすれば、必ず日常で変化が起きる。今日家に帰った瞬間から小さく何かが変わる。その小さな変化に気づく感性をもってほしい。

講演を聞き終えて

結局、アドラー心理学は岸見一郎心理学なのだろうか?
実はこの講演、「アドラーはこう言っています」「私が思うに・・・」と、岸見先生は明確に分けて語られていた。
なにぶん中身が濃密であったこともあり、僕がそのことに気づいたのは講演の後半だった。もっと注意深くメモするべきだったのだ。

じゃあ、明確な分離を抜きにして、
どこからがアドラーの思想で、どこからが岸見一郎の思想なのか」

全体の印象論として感想を述べるとしたらどうだろう。
そう考えながら、ここまで書いてきたけれど、実はまだ答えが出ていない。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』に関して言えば、著者の一人である古賀さんの高度な編集技術があって、「人生の幸福」について語る名著になっている気もする。
岸見さんの思想とアドラーの思想が不可分である以上、アドラーの訳書にあたり、それこそ僕自身で「対話」でもしなければわからないだろう。
ただ、そうやって著者とアドラーを分離するよりも先に、僕には分離すべき課題があり、変えるべき自分というものがいる。

そんなことをなんとなく考えている。
まず僕が変わる、そして小さな変化に気づく感性を身につける。マントラのように繰り返しながら、生きていきたい。