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そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

音楽や小説が好きな人が書いてます。主なカテゴリ↓

ポルノグラフィティのベースが生きてたので、脱退経緯をまとめる。

音楽 音楽-ポルノグラフィティ

ポルノグラフィティの元ベース、Tamaちゃんが生きていた。プロデューサーの本間昭光氏と一緒に写っている写真がある日突然ツイートされた。

僕は自分が泣いているのに気づいた。ああ良かった。Tamaは生きていた。

ポルノグラフィティに詳しくない多くの方には何気ない日常ツイートに見えるかもしれない。

しかし、

2010年末のライブを最後に音楽活動の発表が無く、

2011年にブログの更新が途絶え、SNSアカウントが開設されず、

2016年現在、どこで何をしているのかさえ僕たちが知りえないアーティストの、「生存報告」にあたるツイートであるとしたら、心境をわかっていただけるかもしれない。

(2016年11月15日追記:ついに所属事務所アミューズからTamaの名前が消えました。)

そもそも、ポルノグラフィティ関係者がTama氏の近況に触れられたことすら、3年ぶりのことだ。

 

ポルノグラフィティからTama氏が脱退して10年以上が経つ。

彼の脱退は、「BEST RED’S」「BEST BLUE’S」と題され大ヒットした2枚組ベストアルバムがリリースされた2004年だ。

その前年、2003年には、「渦」、「音の無い森」、「メリッサ」、「愛が呼ぶほうへ」、「ラック」などのシングルがリリースされた。

 

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バンドが名実ともに絶頂期であった時期に脱退した、Tama氏がどういう人物だったのか、その後の足取りはどうだったのか。

googleではゴシップのスパムサイトばかりがひっかかるので、

主観を多分に含め、僕の目線*1で語っていきたい。

(長文且つ皮肉を多分に含むので苦手な方はウサギ小屋に帰ったほうがいいかもしれない

また、ラジオやライブMCのレポなど、ソースの確認ができないものについては調べていないし、これは僕の収集癖の欠如によるものであるが、雑誌のバックナンバーや会報といったものにはあたっていない。

この記事は上のツイートを見て衝動的に書いた記事である。

僕より詳しかったりソースを手元に残してる方は、これを機会に語っていただければ幸いです。)

関連記事:ポルノグラフィティの新曲「LiAR/真っ白な灰になるまで、燃やし尽くせ」感想。カッコよさについて。 - そりゃまあ僕も

Tamaとは

 Wikipediaでだいたい掴める(やや怪しい記載も多いが)。

Tama (ベーシスト) - Wikipedia

 簡単にまとめると、

  • 1974年生、広島県因島出身、ベーシスト。
  • 大阪で音楽を学びつつインディーズ活動
  • その後Vo.岡野 昭仁 Gt.新藤 晴一 と共に上京、デビュー
  • 2004年脱退、ソロ活動、2010年以後、活動不明。

といった感じだろうか。

詳しい生い立ちややメンバーとの関係は、デビュー最初期のインタビュー集『ポルノグラフィティ ワイラノクロニクル』という書籍が分かりやすい。

 

ポルノではベースの他に作曲を手がけていて、インディーズ~メジャー初期に発表されたそれらの曲は、一部のファンや古参気取りのファン*2から根強く人気を得ている。と思う。

僕がSNSで見る限り、ポルノのライブでTama氏による楽曲が演奏されるたびに、現在でもファンがざわついている。

アルバム・カップリング曲含め、合計31曲*3がTama氏によって手がけられたもの。

Tama曲の特徴としてはバンド構成向けのロック、ファンク寄りにアレンジされていた点が挙げられる。

憶測だけど、メインコンポーザーの本間昭光氏*4のポップスとTama氏によるロックが対照的に位置づけされるようプロデュースされていたのではないだろか。

  • サボテン
  • 幸せについて本気出して考えてみた
  • ラック

といったシングル、他にアルバム・カップリング曲含め31曲*5がTama氏による作曲だ。

ソロ活動と脱退当時

Tama氏のソロ活動を楽曲面で言及したものでは、地下室TIMESに寄稿された、はと氏の記事がとても分かりやすい。

ex-ポルノグラフィティ ベーシストTAMAを追え

 

楽曲に関しては上記を参照していただくとして、Tama氏脱退当時のメンバー・関係者の状況が垣間見える話を中心に紹介したい。

 

2004年6月にファンクラブ会報にて脱退*6が発表される。

脱退の理由は「更なる自身の追及の為」ということである。

 

Tama氏自身による詳細な説明は、ネット経由で見つけることはできなかった。*7

 

よって、ポルノ関係者サイドから語られたものを紹介する。

特に、プロデュースを手がけていた本間氏のインタビューが分かりやすい。

当時のポルノのポジショニングやプロモーション方針も併せて言及されていた。

アーティストとしては、当然、自分で曲を書きたい気持ちはあったと思いますし、一部のコアなファンからすれば、「ポルノのメンバーでもない、このak.homma(本間昭光氏の作曲家・編曲家名義)って、一体誰?」という感じもあったでしょうけど、ここで売れなければ、彼らの先はなかった状態です。「誰が曲を書くかは気にしなくてもいい。曲は任せとけ」の言葉どおり、どう売り出していくかをその都度決めつつ、楽曲を作っていきました。

(中略)

ポルノは可能性を感じましたね。普段の彼らはおとなしいのに、ライブになると別人みたいになるんです。

(中略)

ライブを中心に、バンドとしてもどんどん成長の一途をたどっていたところで、メンバーの一人が「抜けたい」と言い始めまして。

当初は、「1年間は培養時間を作ったほうがいい」とアドバイスしたんですが、とにかく本人は意志が固く、「自分で決めたことなので」の一点張り。でも、振り返ってみたら、分からないでもなかったんですね。東京に行くという意志を通したかつての自分と似た気持ちなんだろうなと納得がいきました。

Interview: 音楽プロデューサー・本間昭光氏|泰然自若のジーニアスが放つ才気煥発の極み (6/8)|アート|Excite ism(エキサイトイズム)

(記事掲載、2015年8月05日)

繊細な話ゆえに、抜粋によって印象を操作することは不本意だが、

「Tamaでやりたい音楽をやるため」の脱退、プロモーション方針と音楽性の違いによるものであることが伝わってくる。

 

Tamaの意思の固さのエピソードとして、もう一件。

Gt.新藤晴一氏*8の雑誌連載をまとめたエッセイ『自宅にて』では、「半年間活動を止めて話し合ってきたことを、書ききれるとは思わない」という趣旨の前置き以下、脱退の顛末が語られている。

 半年近く話し合ってきたというけど、その間僕自身は彼と数回しか会って話してはいない。顔を見るのも嫌っていうんじゃなく、回数を重ねる必要がなかった。

最初から彼の意志は固かったし、脱退した人と意思の疎通も何もないけど、10年間付き合ってきた分、そんなにたくさんの言葉はいらなかった。

そしてそれを話し合いでなんとかしようという気が僕にもなかった。

ポルノグラフィティはたくさんの人がかかわっているという点で大きなプロジェクトになったけど、どこまで行っても「それぞれが好きでやってる」という基本はあるし、

それである以上続けるも続けないも自由であるべきだから。

( 新藤 晴一自宅にてp201 "嘘でも前に"2004年8月PATi-PATi掲載分 引用

ドライに感じるかもしれないので言及すると、そもそもこの本自体は新藤氏の日常にまつわるエッセイが中心であり、このトピックは例外的部分である。

引用以降は、日常からさらに離れ、ポルノグラフィティの活動に関しする抽象度が高い話が続く。

そのため、本全体を通して読むと、淡々とした文章とは対照的な何かが、その表面化に潜んでいるような印象を受けると思う。

少なくとも僕は、このトピックに関しては何か特別な引き出しと、(実際の執筆作業時間を超えた)十分な推敲の下に書かれている気がしてならない。

 

ここまでに引用してきたインタビュー記事では、Tama自身の意志や「更なる自身の追及」を具体的に把握することはできない。

しかし、いずれにせよ、Tamaが相当の覚悟で意志表明し、ポルノグラフィティサイドもそれに応えた結果の脱退である点はよくわかる。

 

そして、2005年に入ると、Tamaの精力的なソロ活動が始まる。

 シングル2枚、ミニアルバム2枚、オリジナルアルバム2枚、ソロライブや他アーティストとのコラボなど。

活動は精力的だったが、2009年のベストアルバムリリース、2010年末のライブを最後にぴったりと途絶えた。

オフィシャルな発表は無い。

実質的な活動休止と現在

2011年半ばまで事務所のオフィシャルブログ(Tama Blog)が更新されていたが、2011年6月20日を最後に更新停止する。

冒頭でも述べたように、その後SNSアカウントの開設や、活動再開の発表がされることもなかった。他アーティストとの交流の情報すら流れてこず、オフィシャルな活動状況はつかめなくなった。

事務所(アミューズ)には引き続き所属しているようだが、アミューズによるイベントの「BBQ Fes in つま恋 」やチーム・アミューズ名義の楽曲にも参加はしていない。

Tamaの近況については、本間氏による言及ツイートが3度あったのみである。

 

 

 

 

そして、その後3年を経て、久しぶりに本間氏によってつぶやかれたものが、冒頭のツイートだ。

 

今回は、飲み会に同席した方もいくつかTama氏に言及していた。

 

 

 

 ここまで読んできたら分かるとおり、Tama氏の現状について僕たちファン(ほとんど野次馬的ポジションだが)はほとんど知ることができない。

まだ音楽をやっているのだろうか。別名義で裏方で作家やプロデュースをやっているのか。それとも実際引退状態なのか。まだ東京にいるのだろうか。

事務所としては稼ぎ頭のポルノグラフィティとの絡みもあって、次の一手が難しいのかもしれない。

2016年11月、唯一名前が残っていた所属事務所アミューズの所属アーティストリストからも消えてしまった。

 

何かスッキリとしたオチをつけることができない話だ。

いずれにせよ、ファンが善意や期待を押しつけて、詮索する話ではないし、僕たちに出来ることと言えば、ただ耳をすませて待つことだけである。

耳に聞こえてくるものが彼の新しい音楽であろうと(ファンにとって)残念な報告だったとしても、彼からのニュースをキャッチできる人であり続けられればいいと思う。

それが、ここまで書いてきた僕の今の心境だ。

 

*1:ポルノグラフィティを僕がしっかりと聞き始めたのは、Tamaの脱退の直後、「シスター」が発売されたタイミングだった。これを書くと、「Tama脱退後のファンはにわか!」「メリッサで知った厨房乙!」などと言われるかもしれないがこの記事はそういうオバさんに向けた記事ではないので、ご自身のウサギ小屋にお帰りいただきたい

*2:僕のことだ

*3:うち2曲はアレンジ違い

*4:ポルノと聞いてあなたの頭に浮かぶ曲はだいたいこの人が作ってた

*5:うち2曲はアレンジ違い

*6:

【号外】ポルノグラフィティ【号外】

こちらのスレの>>222にて全文が転載されている。公式発表はログを見つけられなかった。Wikipediaに書かれているものはこれの要約か?

*7:インターネットのアーカイブや雑誌記事などを当たればあるかもしれないので、心あたりがある人にまとめて欲しいレベル。

*8:ポルノと聞いてあなたの頭に浮かぶ曲の歌詞はだいたいこの人が書いている