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そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

音楽や小説が好きな人が書いてます。主なカテゴリ↓

熊本に千羽鶴を祈ろう

雑記 雑記-日記
僕はあえて、熊本に千羽鶴を祈りたい。
被災地に送る千羽鶴を巡って、賛否両論が飛び交っている。
両方にそれなりの説得力があり、僕もつい考え込んでいた。
「僕だったら、どうしよう?」に答えが出なかった。
そんな、僕のモヤモヤをスカッと解決するツイートを見つけた。
 

 

「何も出来ないけど何かしたい」という人に鶴折らせとくという発想自体はわりと合理的だ
ハッとして、納得した。
千羽鶴には、無力感と呼ばれるストレスを発散する側面があったのかもしれない。
イライラして壁を殴ったり、怒鳴ったりするように、僕たちは粛々と祈りを込めて千羽鶴を作るのかもしれない。
 
折ること自体は合理的だ。
問題は、折ったあとの処理である。
送られた千羽鶴が避難所に飾られる。
それに励まされる人々がいる。
その一方で、物資の仕分けの観点から言えば迷惑に成り得る。
利害関係者全員の立場に、言い分がある。
だからやり場の無い悲しみがある。
 
 
僕だったらどうしよう?、ともう一度考える。
 
被災地から遠く離れて、生活していて、
日々のニュースに心がいたむ。気にしなくても、つい頭によぎる。
募金に限度があり、デマに翻弄され、ボランティアに行く余裕も無い。
せめて千羽鶴を送ろうとするなら、それすら賛否両論である。
 
あれこれ考えた結果、
僕の答えは、千羽鶴を祈ること、だった。
何もできないから、何もしない。
ただ精一杯の自分の生活を送るのだ。
 
折り鶴は正しい手順で折らなければ、すぐいびつになってしまう。
次の手順に移る前に、折り筋を正しい位置につけなくちゃならない。折り目はぴったり揃えなければならない。
綺麗に折るなら、面倒くさがらずに段階を踏まなきゃいけない。
 
復興支援だってそれと同じじゃないだろうか。
一見関係なさそうな、僕の生活だって、きっと回り回ってどこかで折り筋になっているかもしれない。
「何もできないけど何かしたい」のならば、
何もできない理由(=生活)が、何かしている(=被災地に繋がる)、と仮定して、千羽鶴を折るように生活をすればいい。
 
そんなことを頭の中で考えている。
ただ、黙々と祈りを捧げている。