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そりゃまあ僕も

20代会社員、男。音楽、カメラ、時事ネタなどの雑記日記です

とてもつらい

音楽や小説が好きな人が書いてます。主なカテゴリ↓

割り箸が上手に割れない人間に、自身を語る価値は無い。

大学1年生のとき初めて付き合った彼女に言った言葉がある。

多分、2回目のデートぐらいの頃だ。

 

「僕はつまらない人間だから、1時間も話せば僕のことは分かると思う。」

 

(今思えば本当にろくでもないことを言っている。こじらせている。

自分で書いて、自分で声に出して「うっわー……」とボヤいた。

童貞と、厨二病と、村上主義者的世界観をこじらせている。

村上春樹の小説から、似たようなセリフを1ダース分くらい見つけることができるんじゃないか?)

 

彼女はそんな僕のゲロみたいなセリフを優しく聞き流してくれた。

それから僕らはお互いについて話した。どんな場所で育ち、どんな恋愛をしてきたか。好きなものや考え方、許せないものについて。

彼女について僕が理解するには1時間ではとても足りなかったし、僕自身についてもまだまだ話したいことはたくさんあった。好きなものについて語ったあとには、どうでもいいことが話したくなった。

「僕は割り箸を上手に割れない。昔はそうでもなかったんだけど、最近はダメだ。

8対2くらいになってしまう。だから、もったいないけど割り箸を2膳割って、20%同士を合わせて使うんだ」

 

そんなムダ知識も含めて、お互いのことをもっと知りたいと思った。話すことは尽きないと思った。

 

そんなこんなで僕たちは付き合った。両思いだ。

僕の視点から見れば、それは本当に幸せなことだった。なにしろ童貞を処分できたこともある。なによりも、誰かと一緒にいれば、満たされた気持ちになることを初めて知った。彼女から僕が学んだことはたくさんある。知ったことも山ほどある。

そして付き合って半年もするころにはお互いのことを二度と知りたくないと思うようになった。少なくとも彼女はそうだった。僕も同じことを思っていた。両思いだった。

 

お互いの意思をはっきりと確認するように別れた。ただ、確認不足のところもあり、何度かヨリを戻して、そのたびに念入りにお互いの合わない部分を確認した。

例えば、彼女は僕が割り箸を上手に割れないことが不満だった。

 

僕は今でも、いびつに割られた20%の割り箸を見るたびに、彼女と付き合っていた頃を思い出す。20%の割り箸を2本使えば、1膳の箸として使うことができる。しかし、その2つの割れ目は決して綺麗に合うことがない。そもそも、僕が割り箸だとして、彼女も割り箸である保障はない。

 

 

まあ、それから7年になる。

当時は童貞だった僕も、どうにか童貞を卒業した。いくつかのSNSを渡り歩き、その都度黒歴史を丁寧に刻んできた。自己顕示欲と承認欲求をコジらせて、引きこもったもののの、大学もどうにか卒業した。社会にも潜り込んだ。

相変わらず仕事はできない。童貞を捨て、7年経って、身についたものは何ひとつない。

 

僕は自己顕示欲と承認欲求だけを相変わらず腹の中に溜め込んだまま、全裸ではてなブログに登録した。

はてなのことは良くわからない。要するに自己顕示欲と承認欲求をブチ撒ければいいはずだ。

 

さすがに、「25歳男性」だけでは、どこの豚の骨が書いているのか分からない。

そう思って自己紹介を書こうと思って出てきた言葉が、冒頭のソレにあたる。

 

あれから7年経ち、さすがに面と向かって人に

「僕はつまらない人間だから、1時間も話せば僕のことは分かると思う。」

 

とは言えなくなった。なにも、童貞を奪っていった相手との失恋だけがそうさせたわけではない。

 

誰かに自分のことを1時間で説明することは困難だ。それは自分という存在の根っこやエッセンスに絞って伝えても、そうだ。それを誰かがエッセンスだと捉えてくれるとは限らない。

例えば、僕たちは1時間の就職面接ですら、誰かを理解することができないし、理解させることができない。僕は理解されないまま入社し、理解させることができないまま働いている。

 

 

 

 

僕は方針転換した。いくつかのセリフを使い分けてきた。

「誰かに1時間を割かせるほどの価値もないし、自己紹介するほどつまらなくない人間ではない」

「とりあえず、目の端のほうでもいい。ちらちらと見ていれば、僕がどんな人間か分かる。」

「割り箸が上手く割れない。つまり僕はそういう人間だ」

 

早い話が、自己紹介する場を徹底的に避けるようになった。

このブログについても、同様のスタンスでいきたいと思う。

 

まあ僕が語る僕のことはいいじゃないか。

僕が好きなものややっていることを羅列しても、僕について説明したことにはならない。僕が僕について語ったとしても、それは僕を知る人からすれば全くの創作に見えるかもしれない。

だから、どこかでこのブログを読む誰かが、「この文章を書いた人間は、こういう人間である」と決めてくれればいい。

それでも僕が自己紹介をしなければならないなら、このブログのURLを伝える。

そういうブログとしてやっていきます。